7月27日(日)に、「オトナのお芝居体験」を開催しました。
今回は、長台詞に挑戦していただきました。
極端に抽象的に書かれた原稿の中に、あなたなりの世界を見立てて読み上げていただきました。
以下は、ご参加いただいた方の【見立て】覚書です。皆さんに同じ文章をお渡しした結果、これだけの【見立て】が出来上がりました。
(齟齬があったらごめんなさい)
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参加者Aさん
【ワタシはこう見立てた!】
中学校卒業式での校長先生の祝辞
【説明】
この校長先生は40代の女性で、生徒に大変人気がある。こみ上げる気持ちを抑えながら、思い入れのある生徒達に粛々と述べる。
参加者Bさん
【ワタシはこう見立てた!】
プロジェクト達成記念パーティーでの、乾杯前の挨拶
【説明】
披露宴用のホテルの一室。片手にはビール。プロジェクトに関わった人たちに労いの言葉をかけるプロジェクト長。イメージは生瀬勝久さん
参加者Cさん
【ワタシはこう見立てた!】
処刑前の高貴な人物の恨み節を交えたあいさつ
【説明】
最初の発想は、告別式での弔辞に対する「故人からの答辞」。ここからリハーサルを重ねるうちに変遷して上記に到達しました。
参加者Dさん
【ワタシはこう見立てた!】
定年を迎え、退任する教師の最後のスピーチ。
【説明】
生徒のいる教室で言葉を噛み締めながら、感極まるところを抑えながらエールを送る。山田洋次監督の映画を見ているようでした。夕暮れの教室が見えました。
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以上、たくさんの見立てで盛り上がりました。こんなに被らないものなのですね。皆さんありがとうございます。
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ところで
最近、よく感じます。
言葉によって意思疎通が出来る一方で、言葉はいつも誤解を生み出すように感じるんです。
日常生活では誤解のないようにすることは大事です。しかし、誤解で遊んでしまうおおらかさも、時にはアリなのではないでしょうか。
その時、その誤解こそが「見立て」になるのかもしれません。先輩に「演劇は見立ての芸術だ」と教わったことを思い出しました。
何に見立てるかは、アナタ次第です!
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この記事を書いた人
西宮市で演技レッスンをしています愚禿堂“グトクドウ“の中野です。愚禿堂“グトクドウ“は、演劇を体験してみたい方向けにワークショップを開催したり、すでに俳優として活動しておられる方にはマンツーマンでのレッスンをさせていだく演劇教室です。演劇を習い事の一つとして選択していただけるように日々研究をしています。